「武士の都」である鎌倉および周辺地域は、山と海という自然の要害に囲まれた地を切り開いて築かれました。鎌倉幕府成立後には、鎌倉を舞台に政治権力をめぐる数多くの争いが繰り広げられ、多くの武将や公家が命を奪われる歴史が刻まれています。
こうした背景をもつ湘南・鎌倉地域では、自然の中で歴史の名残りを肌で感じられる神秘的なスポットが多く存在しています。自然への畏怖の念が感じられる寺社や、壮絶な死闘の面影を伝える史跡などをご紹介します。
1.朝比奈切通し・熊野神社
朝比奈切通しの中にある熊野神社は、自然の中に佇むとても荘厳な神社です。鎌倉の鬼門の位置にあたる朝比奈山頂に源頼朝が熊野三柱大神を勧請し、朝比奈切通しの開通後に社殿が建立されたといわれています。
神秘的な雰囲気が堪能できます。拝殿は1989(平成元)年に新築されており新しい建物です。訪れる人も少ないため、じっくり静かに参詣することができます。
切通し途中にある分岐点から少し距離がありますが、切通しを訪れる機会があれば是非、立ち寄ってみて下さい。
こちらの記事でも紹介しています。
▶▶▶ 所要時間6時間!鎌倉七口(切通し)を1日で歩いて回るとこうなった(極楽寺駅~朝比奈バス停)|コース no.15
2.田谷の洞窟(定泉寺)
大船駅から徒歩30分、バス15分の場所にある横浜市・定泉寺の「田谷の洞窟」は、巨大な一枚岩をくり抜いた修禅道場です。正式名称は瑜伽洞(ゆがどう)といいます。
全長は1㎞と推定されていますが、公開されている区間は250mです。
内部は上中下の三段構造でとなっており、「行者道」と呼ばれる順路を、壁面に彫られた仏様や曼荼羅などを見ながら進んで行きます。気温は季節を問わず16℃前後となっており、春や夏には吐く息が白くなります。
内部は電灯が設置されていますが薄暗いため、受付で蝋燭をもらい、手燭に灯して進んで行きます。
内部の写真撮影は禁止です。数々の彫刻やノミの跡を、是非、ご自分の目で味わってみて下さい。
希望者向けに洞窟内での座禅会も開催しています。
「洞窟前」というバス停がお寺の目の前にあります。
定泉寺への入り口です。大きな看板が設置されています。
道路の反対側には有料駐車場もあります。
きれいな境内には、弘法大師像や子安地蔵尊、子授けの玉石などがあります。
定泉寺のfacebookにて、動画が公開されています。
3.まんだら堂やぐら群・大切岸
名越(なごえ)切通しの中にある「まんだら堂やぐら群」や大切岸(おおきりぎし)は迫力のある史跡です。
やぐらとは、崖に掘った横穴の中に石塔を建てるなどした納骨・供養の施設です。まんだら堂やぐら群には、150穴以上のやぐらがまとまって存在しています。
展望台からの眺めです。
まんだら堂やぐら群は期間限定の公開となっています。4月下旬から6月初め、および10月下旬~12月中旬の月・土・日・祝日が基本ですが、詳細は逗子市教育委員会にお問い合わせください。
まんだら堂やぐら群からハイランド方面に向かうと、全長800mにわたる大切岸が見えてきます。
昔の石切場の跡ということで、壁面には石切作業の跡が残っています。
高台にあるため、逗子市街地の眺望も堪能できます。
4.鎌倉幕府ゆかりの人物の墓・没地
鎌倉幕府にゆかりのある人物の墓や、没した地といわれる史跡をめぐって往事に思いを馳せることも鎌倉巡りの楽しみの一つです。
(1)源頼朝の墓
源頼朝の墓は旧大倉幕府跡の雪ノ下地区にありますが、武家の棟梁らしい質素な作りです。それも、長い間放置されていたものを1779(安永8・江戸時代)年に島津重豪(しげひで)により整備されたとわれています。
頼朝の墓については、こちらの記事でも紹介しています。
▶▶▶ 鶴岡八幡宮の流鏑馬と源頼朝の墓所を訪ねる(2017年9月16日)|イベント情報
(2)三浦一族の供養塔(やぐら)など
頼朝の墓入り口から脇へ伸びる道の先にある石段を上ると法華堂跡があります。
緑の生い茂る石段を登っていきます。
鎌倉幕府第2代執権の北条義時の法華堂(墳墓堂)が建っていた跡です。
平場の脇にあるやぐらには、三浦泰村一族の供養塔があります。第5代執権の北条時頼と三浦泰村の間で起こった権力闘争である宝治合戦(1247年)の結果、頼朝の法華堂で自害した三浦泰村一族を葬ったとされています。
やぐらの中にある供養塔には花やお酒が供えられています。宝治合戦の悲劇から長い時を経た現在でも偲ばれています。
平場の奥にはさらに石段があります。こちらは大江広元・毛利季光・島津忠久の墓に通じています。
中央が頼朝の側近であり政所別当を務めた大江広元の墓、奥が大江広元の四男で毛利氏の祖となる毛利季光の墓、手前が九州島津氏の祖で源頼朝の子ともいわれる(真偽のほどは定かではありません)島津忠久の墓です。3つが並んでいます。
(3)鎌倉幕府終焉の地、北条高時の腹切りやぐら
鎌倉幕府終焉の地である東勝寺跡です。鎌倉駅からもほど近い小町の葛西ヶ谷にあります。後醍醐天皇による倒幕運動である元弘の乱の最後の戦いで、新田義貞軍に追い詰められた北条氏一族やその家臣が自害した場所です。
東勝寺跡からさらに奥に入ると北条高時が自害したといわれる「腹切りやぐら」があります。現在は、道が崩れて立ち入り禁止となっています。
遠目から見た腹切やぐらです。
腹切やぐら前は祇園山ハイキングコースの入り口となっています。
全長約1.5kmの手ごろなハイキングコースです。
ハイキングコースの見晴らし台からの眺めです。
ゴール地点である八雲神社です。こちらかも登ることができます。
八雲神社は大町地域の鎮守で、厄除け開運の神社として知られています。